2012年9月11日 星期二

川俣正 インタビュー

解体する作品、構築する経験
インタビュー/アンドリュー・マークル
http://www.art-it.asia/u/admin_ed_feature/glSN6UEnrDKJCfXt3ue0/?lang=ja


ART iT 町おこしという概念についてはどう考えていますか。

TK 町おこしという言葉は嫌いですね。そういうつもりでやっている気はまったくありませんし、そんなに簡単に町おこしが出来るわけがない。町おこしのための町おこしが、結果としてまったく町おこしになっていないという例をいくつも見ています。結局は、人がどうやって繋がっていくのかということでしかないのに、経済などの観点からいろいろなイベントを組んでも、一過性のアイディアでは将来に繋がらないです。もう少し長いスパンで付き合っていかなければ、イベントで人を呼んで町が起こるというのはありえないと身にしみて感じています。例えば、いろんな地域で町おこしをやっていた時期がありました。けれども、もう完璧にイベント主義で、人が来て注目されれば、町が変わっていくと
言われていたにもかかわらず、それは一過性のことでした。もっと根本的なところから町や人に関わっていかないと変わらないと思いますし、経済的なものだけではなく、教育であったり、実際に住民とどのあたりまで繋がるかであったり、もっと地味な繋がり、コミュニティと接していかないとなかなか結果は出ないと思います。現在の町おこしは結果主義なんですよね、結局、結果でしか判断しない。そういうことが一番の原因だと思いますし、そのあたりに関しては否定的なところがありますね。




日本では地域おこしとか町おこしがひとつの方法論として出来てしまった結果として、すごく窮屈な感じがしています。例えば、日本で行なわれている地域での大規模なアートプロジェクトでは、コミュニティケアとか地域おこしというものが必ず付随してきて、ひとりで勝手に彫刻を作ることが許されないようなところがある。逆に言えば、そうした付随してくるものが目的となり、アートがひとつの道具として使われている。依頼が明確になることで、アーティストがその目的のために使われている。地域住民なんて関係ないというアーティストがもっと出てきてもいいはずだし、いろいろなアプローチがあっても良い。それが本来のアートの形だったのではないでしょうか。現状ではそれが逆転しているような感じがします。